読書は有意義な趣味?
3年ほど前から、読書を趣味の一つにしています。
理由は、以前までは映画観賞やTVゲームが好きだったのですが、子どもが生まれてから眠りの妨げをしないように自然と読書をするようになりました。
「自分を成長させてくれる」から、「読書をする」
読書をすることによって、様々な気づきや得るものがあります。
ビジネス書では役立つ仕事術、
自己啓発本では人生をより良く生きるための考え方、
小説では豊かな文章表現や筆者の作品に込めたメッセージなど。
読んだことはアウトプットして、趣味の時間を成長の糧にしていきたいですね。
・・・と、このように、読書とは「自分を成長させる、豊かにする」趣味として人気です。
限りある人生、いくらオフの時間でもなるべく生産的な時間にしたいですよね。
しかし最近では、この読書という趣味に対する自分の意識が変わってきました。
「それってあなたの感想ですよね」
すべてのものには理由がある?
話は変わりますが、昨今、何事もロジックや意味づけなど「理由」を追求する世の中になってきているように感じます。
日常の些細な発言一つとっても、そのソース・根拠・裏付けがはっきりしていないと瞬く間に非難されます。
「ロジック」は大前提。でも・・・
ビジネスの現場、特に我々のような広告代理店では「ロジック」を明確にすることは大前提です。
「なんとなくこうやったら売れる気がします!!」なんて言ってる代理店に依頼したいお客様はいないですよね。
ファクトとして存在するデータから課題を読み取り、言語化して、課題を解決して数値を改善する施策を提案する・・・。
ロジックがあることでお客様や関係者から信頼を得て、初めて施策を実行していくことができます。
この「ロジックの追求」が、ビジネスだけでなく日常のあらゆる行動に求められてきている、と個人的に感じます。
・読書は、自分を成長させて人生を豊かにするため。
→メモやアウトプットせず読書して終わり?それって意味あるの?
・ゴルフは、出世や仕事づくりのための人脈形成のため。
→事務職なのにゴルフ好き?なんで?
・サウナは、発汗作用によるデトックスや整いのため。
→水風呂が苦手なのにサウナ好きなのはおかしくない?
何をするにも、明確な理由がないとしてはいけないような空気感がありませんか?(自分だけでしょうか?)
「理由(わけ)なんているのかよ」
このブログの最初に「読書を始めたきっかけ」から書いたのも、人に「読書が趣味」と伝えるとまず理由を聞かれることがかなり多かったためです。
「その趣味を始めるきっかけ」や「その趣味がどんなベネフィットを与えてくれるか」が明確であれば、聞かれた際も答えやすいですしスムーズに次の話題に移れます。
しかしながら、趣味とはもっと自由なもので良いのではないでしょうか?
ロジックとは「手段」であり「目的」ではない
「理由」から離れてみると・・・
最近、読書中に意識していることは「読んでいるその瞬間を大切に味わう」ということです。
書いてあることを身につけようとか、読書を通じて成長しようとか、無理に意義を見出そうとするのをやめました。
「この一文がすごく好きだな~」とか「この感情、自分も経験したことあるな~」など、読んでいるその瞬間を味わい尽くすことだけを意識しています。
読後も、無理に本の総括や評価をせず、それでも自然に湧いてくる感想や感情の変化などを大切にするようになりました。
これを意識してから、オフの時間も変にせかせかしたり不安になったりすることが少なくなりました。
仕事においても、下手なマルチタスクで意識が分散してしまうことが減り、以前より目の前の作業に集中できるようになった気がしています。
また、細かいデータに固執しすぎず、当社がすべきことをの本質を、広い視野で考えられるようになったと思います。
我々の使命は「お客様の事業成長と社会に貢献すること」です。
特に広告代理店に転職してからは、ビジネスにおける「ロジック」の大切さを実感し、お客様に納得・満足してもらうためには「ロジックを追求すること」が最重要だと思い込んで業務にあたっていた時期もありました。
しかしながら、ロジックとは「手段」であって「目的」ではありません。
私たちALTWAが果たすべき使命は「ロジカルなご提案をすること」ではなく「お客様の事業成長と社会に貢献すること」です。
この使命を達成するには、感情、印象、信頼、空気感などあらゆる非合理的・非論理的な要素も非常に重要になっていきます。
まとめ
ロジックは「目的」を達成するために非常に有効な「手段」の一つであるが、万能薬ではない。
ロジックを超えた出来事に直面した時に、その会社や人間の本質が問われる。
時にはロジックから解き放たれ、自由な心でいる時間は必要なのかもしれません。
・・・ここまで考えないと自由な心でいられない時点で、まだまだ「理由」に囚われている気がしますが(笑)